now Loading...

松井家と宮本武蔵

剣豪として有名な武蔵(1584?~1645)は、晩年を熊本で過ごしました。
武蔵の熊本入りには、松井家の人々が大きくかかわっており、
松井家には武蔵ゆかりの品々が数多く残されることになりました。

 宮本武蔵(1584?~1645)は、寛永17年(1640)、肥後熊本藩に客分として招かれ、藩主細川忠利や光尚に厚く遇されました。武蔵の肥後入りに尽力したのが、細川藩筆頭家老の松井興長(1582~1661)で、寛永14~15年(1637~38)の天草・島原の乱に従軍していた武蔵へ贈り物を届けるなどの親交があり、乱後、武蔵は「こちら(肥後)に来ているのでお目にかかりたい」という書状を興長に送っています。その書状は、平成6年、八代市内の竹田家(松井家家司)から発見されたもので、現在、八代市立博物館未来の森ミュージアムに所蔵され、熊本県重要文化財に指定されています。

 来熊後の武蔵はすでに高齢で、病がちであったため、松井家では家臣に武蔵の世話をさせたり、武蔵の弟子を家臣に迎えたりしています。松井家の配慮に対し、感謝を伝える宮本伊織(武蔵の養子で豊前小倉藩小笠原家の家老)の書状(松井家3代目寄之宛)なども松井文庫に現存します。武蔵の没後、松井興長は八代城守衛に任じられ、家臣団とともに熊本から八代へ移り住んだため、武蔵ゆかりの史料や美術作品が八代に多く伝えられることとなりました。松井家家臣の中には、二天一流の兵法を学び、武蔵の伝記『武公傳』『二天記』を三世代にわたって編纂した家臣もいました。これらの伝記は、後世創作された宮本武蔵の人物像に大きな影響を与えています。

野馬図 一幅
やばず

紙本墨画 掛幅装 縦46.4cm、横25.3cm
印章「二天」(朱文額印) 
宮本武蔵筆 江戸時代初期(17世紀) 一般財団法人松井文庫所蔵
八代市指定有形文化財(令和5年1月5日指定)

 野に立つ馬を後方より描いたもので、小品ながら、緊張感・力感あふれる作品です。

 馬のたてがみと尾は、薄めの粗筆で素早く描き、たてがみは直線的に、尾はゆるやかにカーブし、変化をつけています。馬の体部は、四肢と首から胸に濃墨を用い、胴部から臀部を明るく描いて筋肉の盛り上がりを表現しています。目や耳の濃い墨色がさらにアクセントになっており、巧みな筆運びと墨色の対比が見どころとなっています。

 その作風は武蔵筆として有名な『正面達磨図』(永青文庫所蔵)と共通し、「二天」の額印も、同上の作品に捺されている印と共通し、基準作として確かな印と考えられています。

戦気 一幅
せんき

紙本墨書 掛幅装 縦124.0cm、横30.2cm
落款「道楽」 印章「二天」(朱文額印)
宮本武蔵筆 江戸時代初期(17世紀) 一般財団法人 松井文庫所蔵
八代市指定有形文化財(令和5年1月5日指定)

 本作品は「戦気」と大書した下に「寒流帯月澄如鏡(かんりゅう つきをおびてすめること かがみのごとし) 」と記しています。寒流帯月は、白居易(「白楽天」とも呼ばれる)の江楼宴別詩「寒流帯月澄如鏡、夕吹和霜利似刀((せきすいしもにかして ときこと かたなににたり)」より引いたもので、武蔵の剣の境地を表現したものとされています。

 落款の「道楽」と「二天」額印は、後入れと考えられていますが、筆跡は『宮本武蔵書状』等にみられる書体と同一であり、『正面達磨図』(永青文庫所蔵)等にみられる「ゆれ」のある描線が共通することから、武蔵の真筆と考えられます。

 松井家の家臣であり、二天一流兵法の師範であった豊田正剛(まさたけ)(1672~1749)・子の正脩(まさなが)(?~1764)・孫の景英(かげひで)らがまとめた宮本武蔵の伝記『武公傳』に「戦気 真大文字」、「寒流帯月澄如鏡 草文字掛物也」の記述があり、松井家中に伝来していた品であったことがわかります。

木刀 一口

樫材 全長126.7㎝
伝宮本武蔵作 江戸時代初期(17世紀) 一般財団法人松井文庫所蔵
八代市指定有形文化財(昭和40年5月18日指定)

 柄は七面、刃部は九面に削り、柄頭には腕貫緒の小孔をあけています。
 松井家の伝承によれば、本品は、巌流島の決闘で使用した木刀を自ら模して作り、松井寄之(1616~1666)に献上したものとされています。この伝承を裏付ける一次史料は現在のところ確認されていませんが、寄之と武蔵が懇意の関係にあったのは確かであり、本品が武蔵由来の品である可能性は否定できないところです。

達磨・浮鴨図 三幅対
だるま・ふおうず

紙本墨画 掛幅装  
右幅:縦127.7cm、横36.7cm 中幅:縦126.6cm、横37.0cm
左幅:縦127.5cm、横36.0cm
印章「寶」(朱文壺印)
宮本武蔵筆 江戸時代初期(17世紀) 一般財団法人松井文庫所蔵
重要美術品(昭和14年2月22日指定)
八代市指定有形文化財(令和5年1月5日指定)

 三幅からなる本作品は、中幅に禅宗の開祖といわれる達磨を描き、左右に水に浮かぶ鴨を描いています。達磨は、インドから中国に渡った仏教僧で、本品は、達磨が梁(りょう)の武帝と会したとき、その人となりに失望し、一片の葦の葉に乗って長江を渡り、魏(ぎ)へ去ったという故事を描いたものです。達磨がまとう衣の的確で勢いのある描線や、水に浮んだ足元の軽やかな表現、眼光鋭い達磨の表情などに、画力の高さがうかがえます。

 松井家の家臣であり、二天一流兵法の師範であった豊田正剛(まさたけ)(1672~1749)・子の正脩(まさなが)(?~1764)・孫の景英(かげひで)らがまとめた宮本武蔵の伝記『武公傳』によれば、「三幅対、中ハ達磨、左右ハ芦鳬、是ハ二刀ニ比シ画キタマエリ、寿之公ノ秘蔵ニテ、今八代御城ニ有リ」と記されており、本作品が松井家5代目寿之(ひさゆき)(1668~1745)の所蔵であったことが分かります。また、明和7年(1770)の松井家の数寄屋道具を列挙した帳面である『御数寄屋道具帳』にも「武蔵筆 中達磨左右鴈三幅對」と記されており、同年には本作が武蔵筆の絵画として松井家に所蔵されていることが確認できます。

 本作品には、墨線のゆれ、濃墨をつけた筆で一突きにして目を表現する等、武蔵筆の絵画に共通する特徴が認められます。本作品に捺されている壷型「寶」印は、宮本武蔵の真筆である国指定重要文化財『鵜図』(財団法人永青文庫所蔵)に捺されている印と同様で、当初からのものであると考えられています。